妄想と現実のあいだにはさまりがち

20代後半の私による私のためのブログです。

「性善説」と「性悪説」の話

こんにちは、吉川ばんびです。

 

いつもブログをお読みいただいている方、スターをつけてくださる方、コメントをくださる方、ブックマークしてくださる方、皆様ありがとうございます。

 

ものすごく単純な人間なので、書いた記事に反応があれば「やるゾ〜⭐️⭐️↑↑」と更新の意欲がグングン上がります。

 

ただ、ブログ初心者すぎて、はてなブックマーク?でいただいたコメントは見ているのですが、返信の仕方がわかりません・・・!なので、今のところはてなブックマークでコメントをいただいた方にコメントを返せていないのです・・・本当にスミマセン・・・(返信できていませんが、コメントは全件読ませていただいております、いつもありがとうございます泣)

 

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さて、今回は「性善説(せいぜんせつ)」と「性悪説(せいあくせつ)」について記事にしてみようと思います。

 

性善説(せいぜんせつ)とは・・・

人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。

孟子朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。

Wikipediaより引用

 

性悪説(せいあくせつ)とは・・・

紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子が、孟子性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。

ここで言う悪とは、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味であり、「悪=罪(犯罪あるいは悪事)」という意味では無い(「弱い存在」である人間が、犯罪や悪事に手を染めずに一生を終える、という事もありうる)。

荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことができるとして、(性善説同様に)教育の重要性を説いた。

Wikipediaより引用

 

・・・ちょっと難しく感じてしまいますね。気軽にこの記事を書こうとした私も、調べてみて今めっちゃビビってます。思ってたより難しいやん・・・

 

要するに、性善説=人の本性は善である性悪説=人の本性は弱く欲望的なものである、ということですよね?いいですよね?このまま進めますね?あってます?

 

正直、「性善説は、人間は生まれつき善であるとする説!」「性悪説は、人間は生まれつき悪だとする説!」だと勘違いしてたんですが、調べてみると違ったみたいです・・・

 

そしてよく議論されるのが、「性善説性悪説、どっち派?」という話。

 

私は、どちらかと言うと「性悪説」派です。

 

そう答えると、だいたい「ぽい顔してるよね〜(笑)」と言われます。誰が性悪説顔やねん。

 

私たちが持つ「本能」って、実際のところは「欲」だと思うんです。

 

食欲、性欲、睡眠欲とか。動物として当たり前の欲求ですよね。

 

でも、世間的に「悪」だとされていることは、「欲求をむきだしにしてしまうこと」なんじゃないかなぁと思うわけです。

 

それをコントロールするために「理性」があって、その理性は先天的なものではなく、後天的に得られるものなんじゃないかなぁ、って。

 

例えば、学校や会社などのコミュニティに属することだったり、道徳の授業だったり、人と関わることの経験だったり、そういうものでルールを学んでいくから、「善い人(理性的な人)」になるのかな、と思ったりしてます。

 

「悪い人=理性的でない人」というイメージが私の中にあるだけかもしれませんけど・・・。

 

でもこういう話って、個人の考えだったり、思想がすごく反映されていて、「なぜそう思うか」を聞くのがおもしろくて大好きです。

 

あんまりこの話は掘り下げると長くなるので、ほどほどにしておきます。

 

みなさんは、「性善説」と「性悪説」、どっち派ですか?

 

私のブログにしてはめずらしく、真面目な記事になってしまいましたことをここにお詫び申し上げます。